自然は四季の灯台

「『遊』には「よそに出掛ける」とか「出発する」いう意味があります。西遊記の「遊」は、困難な旅に出発するという意味が込められています。自然に触れると、ありふれた日常が、新日常になります。江戸時代に使われていた「零れ幸い」という言葉。思いがけず訪れた幸せのこと。当時の人たちは、苦と楽は反目せずに、つながっているものと捉えて生きていたのだと思います。ひょっとしたら、つらいと思うときこそ、小さな幸せに満ちあふれているのかもしれません。

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  誰でも言える5文字だけど 伝えたい言葉は「ありがとう」

 

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最初は私の住んでいる山梨県をご紹介させてください。

 

私のすんでいる山梨県は、富士箱根伊豆国立公園をはじめとして、4つの国立・国定公園に囲まれています。富士山を頂きに富士五湖や南アルプスの山々、高原、渓谷、そして色とりどりのお花畑が広がる、山紫水明の県です。 ちなみに、ミネラルウオーターの三分の一は山梨産です。

 

世界遺産になった富士山。長く伸びる裾野、富士五湖に映る姿など、山梨でしか見られない富士山は、見る角度を変えてみればその魅力はいっそう増します。

 

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山頂をはるか雲の上にした富士山は、日本の象徴であり、日本人の心のふるさととして昔から多くの人々に親しまれてきました。世界の名山として讃えられている富士山は、標高3,776メートル、日本最高峰の円錐形の休火山で、富士箱根伊豆国立公園の要として、山梨県、静岡県の間に位置しています。すっぽりと雪をかぶった雪景色、躍動感溢れる夏山、四季折々、様々に変貌する富士山の優美な姿が遠く、近く、あるいは機上や車窓に見えると、誰もが思わず歓声を上げずにはいられません。

 

 

 

原始・古代 

山梨県の大地に人々の営みが認められるのは、約3万年前からです。原始社会は、狩りや魚とりや木の実を採集する段階から、やがて米づくりの段階へと進み、ムラが統合されてクニが形成されます。
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世紀末から大丸山古墳や銚子塚・丸山塚古墳が造られますが、このことから中道町の曽根丘陵に大きな勢力が存在していたことがうかがえます。
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世紀の山梨は、甲斐国といい、「山梨・八代・巨麻・都留」の4群からなり、その中心は、国府・国衙の地名があることから今の笛吹市御坂町笛吹市一宮町付近にあったといわれています。
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世紀に入ると公家による古代国家の体制は揺らぎ、その中から台頭してきたのが武家でした。1131年頃、甲斐国には源義清、清光の親子が入り、甲斐源氏を興します。

中世・近世 

甲斐源氏の諸氏のうち、武田氏や小笠原氏、南部氏などは後世まで繁栄します。
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世紀の武田氏は、戦国大名として発展し、甲府につつじヶ崎館や要害城を築き、武田信玄が天下統一を目指しました。

 

山の都、交流拠点

   日本列島の中央に位置する「日本のへそ」山梨県は、東京都、神奈川県、埼玉県、静岡県、長野県の1都4県に接し、国土面積の1・2%を占める全国34番目の大きさの県です。そのうち778%が山林で、全国4位の森林県です。昔から使われている地名「甲斐(かい)」も、山と山の狭間を意味する「峡(かい)」から付いたといわれています。

  現在でも、甲府盆地の東西南北中央を、峡東、峡西、峡南、峡北、峡中地方といっています。しかし、近年専門家が発音上の違いを指摘し、「峡(かい)」ではなく「交ひ(かい)」から付いたという説もあります。甲斐の枕詞「なまよみ」は「半黄泉」と書き、黄泉(よみ)の国への境界となっている国、他界(海)と現し国(陸)の交叉する境界の国という意味ではないかというのです。あの世に一番近いのが山であり、富士山や金峰山に見られるように、昔から山岳信仰の対象でもありました。

  どちらにしても山とは切っても切れない「山の都」「交流拠点」「山の囲まれた小宇宙」が山梨です。

 

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最後まで読んでいただきありがとうございます。